以前、とある商社の採用パンフレットの制作で「本質論」を前面に展開する企画が採用され、その後、確か5〜6年くらい制作を担当し、取材撮影して毎年更新していたことがありました。本質志向を是とする企業風土と採用担当者の意向が、我々提案者の本質志向とマッチして実現したものでした。このように、「本質好き」な人は、一定数は存在していたものの、私のように「本質でなければ意味がない」みたいな考えを持った者は、業界的には、売れないマイノリティでした。
当時の、とある大手代理店のエース曰く「みんな、本質なんて、どうだっていいんだよ」と。
つまり、本質なんて、どうだっていい人々(パンピー)を、どのように巻き込んで、消費を加速・拡大させるか。そっちをゴリゴリ推進する制作者たちが、マジョリティだったわけです。
(植木等のあの歌の呪力が、しばらく効力を発揮していた?)
上記は、ステレオタイプ化された「ポストモダニズム」が浸透して業界全体に漂っていた空気を、現場レベルで私が目の当たりにした、象徴的な場面でした。
(「ポストモダニズム」から派生した「ポストポストモダニズム」については割愛)
さてさて、
西洋占星術的には「土の時代(1800〜2020)」から「風の時代(2020〜)」へと移行し、実際に世の中の状況も、コロナ禍から始まって、戦争とAI(LLM)、既得権益の解体やディスクロージャーなど、いままでにないスピードで、ダイナミックな変化・変容が続いています。私たちは、このパラダイム転換をどのように捉え、どのように生きていけば良いのか。
目まぐるしい状況だからこそ、腰を落ち着けて「うーむ、なんだろうね。これは」という体で、考えたいと思います。
昨今、「本質の時代が来た」「要するに、本質なんだよね」と、SNSコンテンツ界隈でも、私の身の回りでも耳にするようになりました。「ついに、私の時代が来たか!」と、心の声(笑)。
いままで、なんやかんや抽象概念をこねくり回してきた「本質屋さん」の私としては、そろそろ、本領を発揮していかなければなりません。
・AIの登場が、人々の意識や行動を二極化させていく(選択による世界線の分岐)
・「風の時代」が本格始動し、眼に見えないものに価値が置かれる(「物質・所有」から「体験・共有」へ)
・「モノづくり」から「コトづくり」へ(これは、以前から言われていますね)
・「知識」は機械に委ね、人間は「知恵」を磨け(いまつくりました)
上記のように、現在、世の中で言われていることについて、どう捉えるか。
そして、自分は、何を大切にするのか。
思うところあって、図案化してみたわけです。

図の中には、最近インプットしてきた色んな情報を自分なりに咀嚼した結果が現れています。
『アナスタシア(ウラジーミル・メグレ著)』のなかで、「愛」が消えてしまわないための秘訣について「それは、一緒に何かをつくること」というような、くだりがあったように思います。図のなかの「共同創造」の言葉に込められた意味合いです。ざっくり言うと、「愛だろ、愛」ですね。
「茹でガエル」については、以前から組織論で語られる教訓として、コンフォートゾーンから抜け出せない者を表す寓話ですが、最近では、整え道のかぐや礼さんが、Youtube動画で語っていました。なんでも、いまの大手企業での新入社員の扱いにおいて「彼らには何もさせなくいていい。いてもらうだけで有難い」みたいなお達しがあるとかで、人を育てない社会の姿に驚愕するといった内容だったと思います。世も末ですね。「本質の時代が来た」と、そのかぐや礼さんも言っていました。この図のヒントになったと思います。作業をしながらの聞き流しが多いため、原典を当たれなくて、すみません。
風水師の小林蔵道氏が「モチベーション」というものはそもそもダメという内容を雑談で語るYoutube動画を見かけました。
モチベーションが上がるということは、モチベーションが下がる状態が前提になっており、そのループは決して良い状態ではないと。そういった偏狭な状態に陥らず“良い状態”にあることが肝要なので、「モチベーション」という概念を持ち出していること自体がアカンというような話だったと思います。図のなかの「享受」と「消費」からなる「無気力のループ」には、そんな意味合いも投影しているつもりです。
いまこの肉体に「私」が宿している「今」を、どのように味わって生きるか。
せっかくだから、問い続ける「本質志向」で、生き生きとした人生を生きようぜ。
と、この図では、言いたいわけです。
もちろん、何も考えず、いまあるものを享受して消費し続け、無気力ループの中で虚ろな人生を味わうのもまた一興なのかもしれません。身内の厨二病くんについては、泳がせながらも時折「おまえ、そんな人生でいいのか?」と詰め寄る私ですけれども。
最後に、昭和と令和をモチーフにした、私の歌詞を紹介しておきます。
1994年にKoheが作曲、2026年4月末に、Satoshiが作詞。
タイトル)
昭和と令和のソナタ(其方の意)
A_B_C)
アナタも 好きだった テレビの時間
みんなでコタツかこみ 一緒に笑ったね
世界は変わったよ
誰もがつながって
忙しい理由ばかり 積みあがる世の中に
色んなことが便利に それなのにおかしいね
見つめ合う時間の代わりに 画面を眺めて なんだこりゃ
* * *
A'_B'_C')
いつでも どこでも なんでも時短
タイパコスパ言うわりに たいして変わらない
ボクらはわかってる
何を手放せば
ホントの自由なんて いつだって目の前に
ジブンの時間でもないし 一緒の時間でもない
着信気にするあいだ 失うすべての 味わいを
* * *
D)
愛おしいこの現実 肌に感じて
命を 燃やしてる 大事な 場所は ココだよ お帰り
* * *
solo)
* * *
E_Outro)
色んなことが便利に それなのにおかしい(よ)ね
見つめ合う時間のかわりに 画面を眺めて いつからか
ジブンの時間でもないし 一緒の時間でもな(い)
キハクなツナガリよりも カラダのリアルを 味わいたい
アナタが 愛する アナタでいてね
以上
